山本浩貴『言語表現を酷使する(ための)レイアウト――或るワークショップの記録 第0部 生にとって言語表現とはなにか』のレビュー
つづきが読みたいです!
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たとえば小説において、表層/深層の対立ではなく、テクストの「手前」という空間性に注目するリテラリズムが取り上げられ、それを更に進めて、表現する者+環境=レイアウトと言語表現のカップリングが考察される。批評史、同世代への目配せも含めた現在的状況、などがスケッチながら具体的に論じられ、興味深い。
乱暴なまとめをすると、このテクストは言語表現をより良く酷使するには「レイアウト」が重要だという体裁だが、逆の方向で読んでも面白い。つまりあるレイアウトにおいて仕事をする非言語的な表現者にとって、ぐるぐる堂々巡りになりがちな作業において、作業上の気づきをブックマークしたり、そこで起こる出来事の記述や意味付けをしてくれるのは言葉だから。『言語表現を酷使する(ための)レイアウト――或るワークショップの記録 第0部 生にとって言語表現とはなにか』は、非言語的な表現者こそがいま読むべきテクストだと思います。
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正直わたしには難しかった。簡単に理解することはできないと感じた。けれど、読了に時間はかかったが退屈ではなかった。なにより「生きることとして小説を書く」というのはまさに自分が考えていたことで、それを上昇させるには、という展開には非常に興味があります。
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正直、誰でもできてしまうことなのだが、やるかどうかは自分次第で……なかなかに考えることがあった。身体性、だとか、肉体、だとか、ちょっと違うかもしれないが作品の解釈において作者の背景を含めるかどうか、とか、そういったことをあらためて考えるきっかけになる、これからもずっと読み続けたいとも思うのだ。
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