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新型コロナウイルス感染症拡大とともに盛んに書かれるようになった「日記」。
コロナ禍において人々が感染拡大防止のためにみずからの生活を律し、他者の生活を注意深く監視するなかで、それと並行して(歴史上、教育・監視装置としての側面を持ってきた)「日記」という表現ジャンルが多くの人々によって書かれたということには、はたしてどのような意味があったのか。
そしてその後、現在に至るまで続く「日記」ブームとは、言語表現にとって可能性なのか、それとも危うさなのか。
自らの第一詩集『灰と家』(エルスール財団新人賞)に、詩の形式の一種として「日記」を収録して以降、様々なかたちで「日記」を論じ制作してきた詩人・鈴木一平による、日記論+日記集成。
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目次
はじめに
新しい生活(表現)様式としての「日記」
無症候性の形象――新型コロナウイルス感染症をめぐる言語表現の受動性について
言語表現としての「折々のことば」
空気の日記
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著者
鈴木一平(すずき・いっぺい)
一九九一年生まれ。宮城県出身。「いぬのせなか座」「Aa」参加。二〇一六年に詩集『灰と家』(いぬのせなか座)を刊行、同書で第6回エルスール財団新人賞受賞、第35回現代詩花椿賞最終候補。主な論考に「詩の媒体についての覚え書―複数の主語的統合が織りなす制作的空間」(『ÉKRITS』二〇一九年五月)、「詩と実在と感覚―言語表現におけるオブジェクトの制作過程」(『三田文學』二〇一九年冬季号)など。「現代詩アンソロジー 認識の積み木」(『美術手帖』二〇一八年三月号)の編集・解説を担当。現在、第二詩集を準備中。
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A5判型・76ページ
発行:いぬのせなか座
編集・装画:山本浩貴(いぬのせなか座)
装釘・本文レイアウト:山本浩貴+h(いぬのせなか座)
発行日:2024年5月19日